閑 話






 ねぇ旦那、あんたそうとう女を泣かしてきただろう?
 誤魔化そうたって駄目ですよ。こんな商売しているとねえ、男の正体なんて一目で見抜けるようになっちまうんです。
 その澄ました顔で、何人の女を捨ててきたんだい?
 中には悲嘆に暮れて死んじまったのもいるだろうに、ちっとも申しわけないとは思ってないようだ。
 ――…誘う女も悪いって?
 まぁ、旦那ほど女好きのする男は滅多にいない。放っておけなくて当然さ。
 ちょいと誘って遊ぶつもりが、知らぬ間に深みへと嵌まっちまう。気づいたら離れられなくなっている。旦那はそういう類の男さ。
 何を笑っているんだい。それが本当なら苦労はしないって?
 そうやって初心な少年みたいな顔で何人の女を誑かしてきたんだよ。この人でなし。

『―…フレアっ! バルフレアーっ!』

 おや、窓の外が騒がしいね。何やら大声で叫ぶ子供が通りを歩いて来る。
 近づいてくる女におっかなびっくりだ。此処に売られてくる未通娘だって、もうちょっと堂々としているもんだよ。
 掃き溜めに鶴なら稀にいるが、あれじゃあまるで掃き溜めに雛だ。どこで親鳥と逸れちまったんだろうねえ。
 ほらほら、あんまり騒ぐから用心棒の男どもに囲まれちまったよ。
 …あらまぁ可笑しな坊やだねえ。女には怯むくせに、男に対しては恐いもの知らずだ。身振り手振りで尋ね人の所在を訊いている。
 危ない様子かって? いえいえ大したもんで、用心棒どもの毒気をすっかり抜いちまった。三々五々に皆帰っていきますよ。

 へえ…あの坊やの尋ね人は旦那だったのかい。
 身内のしちゃあ似ていない。屋敷の小間使いが若主人を探しに来たってとこかね。
 ――違うのかい。
 ふん。旦那と坊やの関係を言い当てたら酒代を五倍にして払うって、あたしも随分甘く見られたもんだ。
 含み笑いなんか漏らして嫌らしいねえ。それにその目付き…まるで蕩けてしまいそうじゃないか。まったく旦那には不似合いな顔になっちまってるよ。
 まさか酔いが回ったわけじゃ――…?

 さぁ、今度はあたしが笑う番だ。
 云っただろう。こういう商売をしていると大抵の事は察しが付くんだよ。
 おや…別段驚きもしないねえ?
 あの坊やとの恋は隠す必要がないとでも思っているのか。それとも、隠しようがないと諦めているのか。
 どっちにしろ愉快なことだよ。旦那みたいな男が、嘴の黄色い雛っ子に心底夢中になっているんだからね。
 ――夢中だと何故判るのかって?
 その顔だよ。女の話には取り澄ましていた顔が、見ちゃいられないほどニヤけちまっている。
 ふふふ…いまさら取り繕ったって無駄な話さ。あたしには全部判っちまった。
 旦那は初めての感情に浮かれている。坊やとの毎日が楽しくて仕方ない。此処に来たのも、あの坊やが探しに来るのが嬉しいからだろ。そうやって我が身の幸せを確認しては悦に入ってるんだ。
 ほうら――…図星を突かれて赤くなってる。

 でもね旦那。あたしが愉快なのは、何も旦那をからかえるからじゃないんですよ。
 年端の行かぬ少女が相手ならまだ救いはあった。どんなに魅力的な少女でも行きつく先は女だ。令嬢だって娼婦だって女以外の何者にも成れやしまい。
 あの輝きは何だったのかと気づいたら最後。夢も希望も消え失せて、これまでの遊びと同じ色合いになるものさ。
 そりゃあそれで悲しいだろうが、物事の道理と思えば諦めもつく。
 ところが少年相手だとそうはいかない。あっという間に別の生き物みたいな心を持っちまうからねえ。旦那にだって覚えがあるでしょう。
 あたしの見立てだと、あの坊やは大化けするだろうよ。この目は確かさ、間違いない。
 ――…どんな風に化けるかって?
 さあてね、そこまでは判らないさ。あどけない雛っ子が鷲になるか鷹になるか……あるいは虎にでもなっちまうかもしれませんねえ。
 それは楽しみだなんて云っていられるうちが華ですよ。
 旦那なんか頭からばりばりと喰われて、きっと骨も残りゃしない。そうして自由になった獣は、すぐに餓えて別の獲物を探しに行くのさ。
 ええ…いままで旦那がしてきたようにね。

 ねぇ旦那。
 どうしてそんなに幸せそうな顔で笑えるんですかい?
 あたしの云いたいことは理解できたはずですよ。この先、あの坊やと一緒にいたって地獄が待っているだけだと。
 なのに旦那は、天国への道を見つけたような顔になっちまった。
 べた惚れ過ぎておかしくなったわけでも、それはないと高を括ってるわけでもなさそうだ。ぜんぶ承知の上で、そんな風に笑ってらっしゃる。
 あたしも色々見てきましたが――…旦那ほど惨い男は初めてだねえ。

 もう帰るんですかい?
 これ以上放っておくと坊やが本気で怒り出すって…そう困った振りをしてもお見通しですよ。わざと怒らせて絡め取るつもりのくせに。
 宥めてあやして甘やかせて、そこから先は旦那の思うまま。坊やもえらい災難だ。
 ――…約束の酒代は半分ほどで。
 いえいえ遠慮してるわけじゃありませんよ。今日のところは半分、残りは十年後にお支払いください。
 なあに年月なんて瞬く間に過ぎちまいます。あたしの十年と旦那の十年とは大分違うでしょうが、生きてりゃお互い万々歳だ。
 どうしてそんな七面倒なことをするのかって?
 いえね、その頃の旦那がどんな顔をしているか、見たくなっちまったんですよ。旦那ほど悪趣味じゃないと思いますがね。
 それでは十年後に。適うことなら坊やと一緒にお出でくださいまし。

 ――…おありがとうございました。


おわり (2006.05.13)



この話の語り手
最初は『娼館の女将』のつもりだったんですが
いつのまにか『居酒屋の店主』になっていました
どこで性転換したんだろう…(汗)



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