珍しくヴァンが大人しい。
 シバーネ波止場の埠頭に座りこんで、ため息なんぞを漏らしている。
 自分の胸に手を当てては小さく首を振り、切なげに眉を寄せたりもしていた。
 傍から見れば、恋に思い悩む青少年以外の何者でもない。
 その相手が自分なら問題はないのだが…と遠くから眺めつつバルフレアは顎をさすった。
 はてさて、今朝までのヴァンの様子を思い返してみる。
 起き抜けパンツ1枚で部屋をうろうろしたあげく、シャワーが壊れたと全裸で飛び出してきた。朝食が足りないと云って、バルフレアの食べ残しを平らげていた。手触りの良さそうな腹を叩いて、すげえ満腹だぁ〜と大きなゲップをもらした。
 それはお前なりの誘惑かよっ!?と胸倉を掴みたくなるほどの天衣無縫ぶり。どう考えても、恋わずらいの相手にする態度ではない。
 さすれば想い人は別の誰かということになる。
(どこのどいつだ…そりゃ…)
 心当たりを考えつつ、すぐにでも駆け寄って問い詰めたいのをグッと堪えた。
 内心は焦りまくりでも天下の空賊バルフレア様はそんなみっともない真似はしない。偶然を装ってヴァンに近づき、さりげなく声をかけた。
「よぉ、元気ないな。腹でも下したか?」
「あぁ…バルフレアか」
 ヴァンはちらりと視線を向け、なんでもないんだけどさ、と小さく息を吐く。
 やはりおかしい。いつものヴァンなら「下してねぇよ!」と顔を赤くして噛みついてくるところだ。
 朝食後に別れてからの数時間。腹ごなしに買い物してくると飛び出していった先で何があったのか。
(バッシュは部屋で武器の手入れをしていた。レダスはまだ留守中だ。もしや…まさかとは思うが…リッキー…?)
 頭に浮かぶ恋敵が男しかいないあたり、バルフレアの恋わずらいも重症である。
「ヴァンらしくないな。面倒はごめんだが相談にのってやってもいいぞ」
 そう云いながらヴァンの傍らに腰を下ろす。あくまで余裕をかますバルフレアだったが、唇の端が引きつっていた。
「別にいいって」
 ヴァンは拗ねたように下唇を突き出し、プイと横を向いてしまう。
 その仕草に、可愛いじゃねぇかちくしょうっ!と地面を叩きたくなるのを我慢して、クールに肩をすくめるバルフレア。
「おいおい、だったら暗い顔するのはよせよ。悩み事があるんだったら、云っちまったほうが楽になる。誰にも云わずにいてやるから」
 できるだけ優しく云った言葉に、ヴァンはおずおずとバルフレアへと顔を向ける。
「――…約束…だぞ?」
 上目遣いで確認するヴァンに、バルフレアは目眩を起こしそうになった。凶悪すぎるぜとこめかみを押さえる。
「あのさ…って、バルフレア聞いてんのかよ」
「ん? ああ聞いてる聞いてる。で、どうしたんだ?」
 ヴァンはこくんと唾を飲みこんで話を続けた。
「…バーフォンハイムの街にはけっこういいなって思う奴がいっぱいいるんだけど…」
 ちょっと待て。いいと思う奴がいっぱいってどういう意味だ!?
「でも、やっぱりアルシドが一番っていうか…アルシド以上の人はいなかったなあ。格好良くて強そうで男らしくてさ…」
「おっ落ち着けヴァン! アルシドってあのアルシドか?っていうか、いい奴がいっぱいって――…いやそれよりアルシド!?」
「うん、アルシドなんて名前は1人しか知らないだろ。それよりバルフレア、すごい汗が…」
 ただでさえ混乱した頭に、予期せぬ名前の出現。さすがのバルフレアも自分を見失いかけたが、心配そうなヴァンの瞳になんとか理性を取り戻した。
「…気にするな。夕べの酒がまだ残っているらしい」
「あんまり飲みすぎんなよ」
 ヴァンは小生意気な笑みを浮かべ、立て膝に頬杖をつく。遠く水平線の向こうを見やりながら、うっとりと目を細めた。
「アルシドのこと思い出したら止まらなくなっちゃってさ。…なんていうか理想的…っていうのもおこがましいな。手の届かない憧れ――…かな」
 ヴァンの眼差しは海ではなく、ここにはいないアルシドを見つめている。かすかに微笑む口元には、やるせない哀しみが漂っていた。
「あいつに触れたいとか思っているのか?」
「そこまでは…!」
 バルフレアの問いに、ヴァンは真っ赤になって首を振った。
「そりゃ触りたいなって考えはしたけど、そんなことしても俺のモノになるわけじゃないし。どんなに望んだって無理なことはちゃんと判ってるよ」
 しょんぼりと視線を落とす。
 そんなことないぞ!とバルフレアは喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。
(ヴァンが本気で望めば、アルシドだって国を捨てる覚悟で受け入れるに違いない。せっかく諦めようとしているヴァンを慰め、その気になったら大事じゃないか!)
 アルシド本人の嗜好を無視し、惚れた欲目で物事を考えるバルフレアであった。
 …にしても、と落ち込むヴァンを横目で見つつ考える。アルシドのどこがそんなにヴァンの心を惹きつけたんだ?
「バーフォンハイムの街にはけっこういいなって思う奴」とヴァンは云った。
 それなら少しは理解できる。なんたってフェチが付くほどの空賊好きだ。空賊でありさえすれば、ヴァンは無条件で憧れると云っても過言ではない。
 このバルフレア以上の空賊がそう安々といるとは思えないが、何かの勘違いで惚れることが――そんなのはすぐにブチ壊すがな――あっても不思議はないだろう。
 しかしアルシドである。やることが似ているとフランは云いたげだったが、同じ気障でも俺の方がずっと洗練されていてスマートだ。
 はっ…もしや洗練されすぎていてヴァンには判らないのかもしれない。あそこまであからさまにやらねば通じないのか!?
 思い立ったら吉日とばかりに、バルフレアはヴァンの髪にそっと手をやる。指先で軽く梳いてやりながら、うつむいたヴァンの顔を覗きこんだ。
「…これまで数多く場所で風を見てきたが、ラバナスタには綺麗なプラチナゴールドの風が吹いていたな…」
「あ? ああ、風向きによっては砂漠の砂が吹き込んでくるから。陽にあたると綺麗だけど、目や喉が痛くなって大変なんだぜ」
「や…そうじゃなくて……」
「そういや、ラバナスタにもアルシドほどの人はいなかったよな。3軒先のガストンがすごく格好よかったんだけど」
「ヴァン…そのガストンっていうのは…」
「ん、大工の棟梁。でもアルシドに会っちゃったら、ぜんぜん大したことないや」
 つまりヴァンの初恋は3軒先の大工であり、アルシドの登場で書き換えられるまで忘れてなかったってことか?
 そこに俺は登場しないのかよ…とさすがのバルフレアも泣きそうになる。おまえ空賊なのかと瞳を輝かせていたのは何だったのか。どういう意味だったのかと。
(今日のところはこれ以上聞かない方がよさそうだ。明日にでも出直して…)
 すっかり気落ちしたバルフレアが腰を浮かしかけた時、俺ってさぁ!とヴァンが引き止めるように声を上げた。
「俺って、昔からそうなんだよ。無いものねだりっていうか…手に入らないと判っているのに憧れて。いいかげん諦めればいいのにできないんだ。どんなに憧れたって無理なもんは無理なのにさ。いますごく…アルシドに会いたい。会って訊きたいことがいっぱいある…」
 最後は消えそうな声で云って、立て膝に顔を埋めてしまう。少し泣いているのかもしれない。
(そこまであいつに惚れてるのかよ…)
 バルフレアは小さく震えて見えるヴァンの肩に手をまわし、慰めるように引き寄せた。
 すぐにでもシュトラールでロザリア帝国へ連れて行き、ヴァンの想いを伝えさせてやるのが大人のやり方だろう。それは判っている。しかし絶対に譲りたくないのだ。このワガママで無鉄砲な子どもを誰にも渡したくない。
「なぁヴァン…」
 やわらかい白金の髪に頬を寄せて囁く。
「――…俺じゃだめか…?」
「バルフレア?」
 ヴァンはきょとんとした目をバルフレアに向けた。視線を顔からゆっくり胸元へ下ろすと訝しげに凝視する。そうして見つめていたかと思うや、
「まったく、なに云ってんだよ!」
 ケラケラと笑い出した。
「バルフレアなんかぜんぜんダメじゃん」
「―…ぜんぜんって!?」
「対抗意識を持つのはしょうがないけどさ、嘘つくのはなしだぜ」
「嘘じゃない! 本当に俺はっ…」
 ショックでうろたえるバルフレアに、ヴァンは立てた人差し指を左右に降りながら「俺はちゃんと知ってるんだぞ」としたり顔をする。
「バルフレアは、乳毛はもちろん産毛すら生えてないみたいにツルツルじゃないか」
「乳毛…っ!?」
「着替えの時とかチェックしてたんだからな。いまさら嘘ついても……」
 ヴァンははっと目を見張って、バルフレアの胸元に掴みかかった。
「もしかして剃ってるのかよ!! そんなもったいないことしてたら、いくらバルフレアでも許さないからなっ!」
 息も触れあうほどに詰め寄られて(ちょっとラッキー)と思いつつ、どうもヴァンの云うことが判らない。
「ちょっ…待ってくれ…いったい何の話――…」
「何って、バルフレアは胸毛を剃ってるのかって訊いてんだよっ!」
「むな…げ…」
「そうだよ。胸毛を剃るなんて、男として…いいや人として信じられない。で、剃ってんのかよっどうなんだよっ!」
「そっ…剃ってない剃ってない剃ってないっ!!」
 見たこともないようなヴァンの怒気に、バルフレアは必死で首を振った。ヴァンはすぐに「だよなぁ」と納得して指をほどく。
「あんなに格好良くて強そうで男らしいものを剃るなんてできないよな。胸毛ってさあ…なんていうか…あるだけで野生の勲章っていうかワイルド・ステイタスっていうか…」
「ええと、ヴァン、ちょっと質問があるんだが」
 うっとりと語りはじめたヴァンに、バルフレアは生唾飲みこんで質した。
「…おまえ…胸毛が好きなのか?」
 ヴァンの頬が見る見る朱に染まっていく。
「好きっていうか…好きは好きなんだけど…ずっと憧れてんだ。レックスも毛が薄かったし、父さんも濃かった記憶がないから、俺だけいきなり生えるなんてないと思う。だから胸毛の濃い人を見ると考えちゃってさ」
「アルシドアルシド云ってたのは――…」
「そうそう、あの人の胸毛は凄かったよな! はだけたシャツからはみだす勢いがあって、もう目が釘付けだったよ。おかげで顔も覚えてないや」
「顔もって…ヴァン…」
「訊きたいことがいっぱいあったんだけど、あの状況じゃさすがに無理だろ。親譲りはしょうがないにしても、食べ物とか健康法とかで何かあるはずなんだよ。あ〜またアルシドに会えないかなあって…バルフレア?」
 バルフレアはがっくりと頭を垂れてヘタリ込んだ。さっきの告白を返せと海に向かって叫びたい。そんな衝動が身体中を駆けめぐる。
「どうしたんだよ。いきなりやつれた感じがするんだけど…」
「いや、気にしないでくれ。我が身のおろかさを噛みしめているところだ」
「そっか…バルフレアも胸毛がないの気にしてたんだな。ごめん、ツルツルとか云っちゃって」
 ヴァンが労わるようにポンポンと肩を叩いた。違う…と脱力したバルフレアの呟きなんぞ聞いちゃいない。
「でも、きっとどこかに毛の生える魔法やアイテムかアクセサリーがあるよ。もしかしたら秘宝とかで見つかるかも。一緒に探して出してワサワサになろうぜ」
 ――…そうはさせるか。
 自分がワサワサになるのも御免だが、毛むくじゃらのヴァンなど見たくもない。この滑らかな肌だからこそ触ったり舐めたりしたいのだ。
(…もしヴァンが見つけたとしても全力で阻止してやる!)
 勘違いの悔しさもあいまって、必要以上に強く誓うバルフレア。
 そんな心中も知らず、ヴァンは「確かに話したら楽になったなぁ〜」と晴れ晴れした顔になる。
「でもさ、バルフレアやバッシュに胸毛が無くって良かったかも。もしあったら、俺きっと見つめちゃって大変だっただろうし」
 ヘヘヘ…と照れた笑いをこぼして言い放った。
「寝てるあいだに頬ずりとかしちゃてたかもしんない!」

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 数時間後。
 シェトラールを飛ばして、ラバナスタのダウンタウンにやってきたバルフレアの姿があった。
 その鬼気迫るようすに怪しげな店の老店主は恐ろしくて声もかけられない。ある棚の前で立ち止まると、今度は頭を抱えて悩みはじめる。
 老店主は合点のいった顔で頷き、まだ若いのに…と心から同情した。

 バルフレアの前には――…『かならず生える!育毛剤 フサール』 

おわり (2006.05.16)


ヴァンは母親似でレックスは父親似
だったらいいなと思います
ぜんぜん関係ない話ですが…w


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