街道沿いの宿場町を出発してから6時間。
 このあたりに現れるモンスターは強敵揃いだったが、昨夜は久しぶりにベッドでの睡眠を取れたこともあり、それほどの苦も無く道中順調に進んでいた。
 昼食がてらの休憩を取ろうと、パーティーは四方へと枝葉を伸ばす大樹の陰に荷を降ろす。宿で用意してもらった弁当を食べた後、それぞれ横になったり武器の手入れをして時間を過ごしていた。
「…おい、ヴァンはどこに行ったんだ?」
 しばらくして、バルフレアが周囲を見まわしながら云った。なんだかんだとボヤきつつも、バルフレアはヴァンのことを気にかけている。
 そのことを指摘されると、バルフレアは「あいつを1人にしておくと面倒が増えるだけだ」と答えて、それこそ面倒くさそうに肩をすくめるのであった。ヴァンを知っている者は、その言葉だけで「確かに…」と納得せざるを得ない。
 ヴァンの姿が見えなくなると、こうして所在を尋ねるのがバルフレアの癖みたいなものになっていた。
「えっと…なんか探したいものがあるとかで走っていったけど…」
 フランに三つ編みを結いなおしてもらっていたパンネロが答える。フランが戦闘で乱れたパンネロの髪を直してやるのは、めずらしい光景ではない。アーシェもそんな2人に寄り添って座っている。
 そうしていると仲のよい3姉妹のように見えた。
「坊やもだいぶ強くなったし、ここらのモンスターならほとんど片付けたから大丈夫よ」
 長く爪を伸ばした指を器用に動かしながらフランが云った。
「すこしはヴァンのことを信用してあげたら?」
「そりゃあそうだが…」バルフレアは決まりの悪そうな顔で「あいつが単独の時に限ってレアモンスターが現れやがるんだ」
「だったら、探しに行けばいいじゃない?」
 意味ありげな目線で云われ、バルフレアはますます顔をしかめる。
「あら、帰ってきたわよ」
 アーシェが笑み含んだ声で前方を指差す。はたしてヴァンがこちらに向かって駆け寄ってくるのが見えた。
「…ったく、休憩中に走りまわったら意味ないじゃねえか」
 バルフレアは舌打ちをしてヴァンから目を逸らした。おまえのことなど考えもしていなかったという態度に、女性3人は顔を見合わせて微笑んだ。
「バルフレアーっ。なあバルフレア!」
 ヴァンは息を弾ませてバルフレアの傍らに行く。まるで主人を見つけた仔犬のようで、これほど懐かれたら悪い気もしないだろう。
「おい、そんな大声を出さなくても聞こえてるよ」と邪険にしながらも、腰に下げた水袋を渡してやっている。
 ヴァンは旨そうに飲み干して水袋を返し、得意げな表情で鼻の下をこすった。
「これ、見つけてきてやったぜ」
 腰の巾着から沢山の葉をつけた枝を取り出す。スベリヒユ。涙のような形をした肉厚の葉は食用にもなるが、いまは取り立てて食料不足というわけではない。
「ここんとこさ」とヴァンは自分の首筋を指で示してバルフレアを見上げた。
「朝から気になっていたんだ。虫に刺されて真っ赤になってるじゃないか」
「虫……?」
 バルフレアは首筋に手をやり、はっとして顔を強張らせる。フランが耐え切れない様子で吹き出した。
「やっ――…これはべつに…」
 両手で首を隠すように後ずさったバルフレアに、ヴァンは「何云ってんだよ」と詰め寄っていく。
「そんだけ赤くなってたら痒いんじゃないか」
「…いや…痒くないから…」
「でも、見てるだけで痒そうなんだよ!」
 そんな2人のやりとりに、フランは笑いが止まらない。アーシェはすぐに気づいたらしく、我関せずを装いつつ眉をひそめている。
 パンネロだけがヴァンと同じで、毒虫だったら大変ですよとバルフレアに声をかけていた。しかしフランに耳打ちされ何事かを告げられると、みるみる頬を紅潮させてバルフレアを睨みつける。
「あっちのほうに」とパンネロは尖った声で立ち上がった。「ラズベリーがいっぱいあったから! ね、フランさん、アーシェ、行きましょう!」
「ええ、そうね」
 アーシェも呆れ顔で腰をあげ、パンネロと手をつないで歩き出す。少女らしい無垢な怒りに、さすがのバルフレアも情けなく眉を下げた。
「ねえ坊や…」
 フランは面白そうに目を細め「たっぷりとクスリ塗ってあげてね」と云って、パンネロとアーシェの元へと行ってしまう。
「おっ…おいフラン!」
 バルフレアが助けを求めるように呼び止めたが、まるっきり無視された。
「ほらバルフレア、これですぐ治るからさあ」
 ヴァンは手にしていた枝をバルフレアの目前にかざす。光沢のある葉を一枚引きちぎり、指先で押しつぶした。
「スベリ何とかっていう薬草で、虫刺されにはすごく良く効くんだってば」
 あふれでた粘着質な葉液をバルフレアの首に塗ろうと、無理やり襟元へ指を差し入れようとする。片方の手でしっかりと肩を掴むや背伸びして迫るヴァンに、普段からは思いもつかないほどバルフレアはうろたえていた。
「ぜんぜん痒くないから大丈夫だ!」
「痒くなくても、そのうち腫れてきたらどうするんだよ。水膨れとかできたら大変だろ」
「痒くもならないし腫れもしないっ」
「ダメだ!」
 ヴァンに一喝され、バルフレアはひくと息を飲む。バルフレアがヴァンに押されているなど初めてだ。
 それにしてもバルフレアは変なところで純情な男である。たった一言、これはキスマークだと云えば判るだろうに。ヴァンも言葉すら知らないほど初心ではあるまい。
 どうやら娼館へ行くのは知られても平気だが、性行為そのものを悟られるのは嫌なようだ。生臭い想像はしてほしくないらしい。
「あのさぁバルフレア…」
 ふいにヴァンの口調が変わった。
「後から来る痒みっていうのは長引くんだぜ。もし水疱ができて、それを掻き壊しでもしてみろよ。下手したら膿んじゃうし、痕だって残っちゃうんだよ?」
 切々と諭すように云う。ヴァンは膿むだの痕に残るだのを気にする性質でなく、こんな台詞は自然には出てこないはずだ。
 おそらく自分が云われた言葉をそっくりそのままバルフレアに云っている。
 時折こうしたヴァンの言動にレックスの存在が感じられた。スベリヒユの効用を教えたのも彼だろう。小さなヴァンを諭しつつ薬草を塗りこんでやるレックスの姿がたやすく目に浮かんだ。
 心配性の兄にヤンチャな弟。
 そんな兄弟を昔から知っているような気になる。いや、確かに知っていた。黄金色の庭で遊ぶそっくりな顔立ちの少年2人として…。
「いいから放っておけと云ってんだろ!」
 しつこく手を伸ばすヴァンに、とうとうバルフレアが声を荒げる。
 自分に後ろめたいことがあるからといって怒り出すのは幼い証拠だ。日ごろはやけに大人びていても、こういう場面で若さが出てくる。
 やれやれと息を吐いて立ち上がり、2人の間に割って入った。
「ヴァン。そんなに心配してやっても馬鹿を見るのは君の方だぞ」
「バッシュ…?」
 怒鳴られてシュンとしていたヴァンがすがるような眼差しで見上げてくる。安心させるように笑いかけ、スベリヒユの枝を握り締めたまま下げられたヴァンの腕を取った。
「いいかい、見ていてごらん」
 身体を屈めて、肘の内側――柔らかく薄い皮膚の部分に唇を押し当てる。
「おっおい…!」
 されているヴァンではなく、バルフレアの慌てふためく声が聞こえた。かまわず舌先を支えに軽く吸いあげる。赤ん坊のような肌にはこのていどでも痕がつくだろう。
 唇を離して見ると、思ったとおりに淡く色づいた小さな痣ができあがっていた。
「ほら。バルフレアは虫に刺されたのではなく、こういうことだったのだよ」
 バルフレアはもう何も云えず、片手で顔をおおって深い溜め息を吐いている。
 ヴァンは不思議そうに自分の痣を見て、バルフレアの首筋に視線を向け、それからまた自分の痣に目をやり――そして。
「ああーっ」と叫ぶや気の強い瞳できっとバルフレアを睨みつける。バルフレアが言い訳する間も与えずに「女たらしのあんぽんたん!」と言い捨て、パンネロたちの元へと走り去ってしまった。
「あんぽんたんか、ヴァンもずいぶん古めかしい捨て台詞を吐くのだな」
「感心してる場合かよ…」
 バルフレアはがっくりと座りこんで、喉の奥からかすかな呻き声をあげる。頭をかきむしったかと思うと、今度は長々と大きく息を吐いた。
 こんなことで悩むようでは、まだまだヴァンを渡せない。こうして共に旅をしているのも、懸命に生きるため戦って逝った青年の導きだ。云わばヴァンは『大切な預かりもの』なのである。
 ただでさえ傷ついてきて、それでも純粋さを失わずにいるのは守られた者の証。どうしても欲しいのなら、これ以上ヴァンを傷つけないだけの度量を持ってなければならない。
 ――…それができない時は。
「バルフレア、あっちでヴァンが喚いているぞ。宥めに行かなくてもいいのかね」
 見下ろしながら云うと、バルフレアは憎々しげな目で仰視してくる。
「なぁ将軍…俺になにか恨みでも?」
「いまは取り立ててないが、そのうち恨むかもしれんな。いや…君が私を恨む日が来るかもしれない」
「はあ?」
 訝しげに眉を寄せるバルフレアに、せいぜい破顔一笑してみせた。


おわり (2006.05.22)


ヴァンに対して
バッシュが本気で動いたら
おそらくバルフレアに勝ち目はない…かも(えー)


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