スリプル!

 〜ヴァン編〜





「気合だよな…気合…」
 味方にスリプルをかける時にも、本気で『相手を眠らせてやる』という気合を込めろとバルフレアは云った。
 理屈は判る。しかし考えはじめると《気合》ってどうすればいいのか判らなくなる。集中かなとは思うんだけど、意識するとかえってバラけてしまうような。
「いつまでぶつくさ云ってんだ。ほら、行くぞ」
 そう云って背中を向けるバルフレアを見て、ヴァンは考えるのをやめた。
 とりあえずやってみなければ始まらない。失敗すれば「いきなりやるな」と怒られて「できないじゃないか」とバカにされるのは確実だが、そんなのはいつものことだ。もう慣れてしまった。
 こっそりオリハルコンを抜き、バルフレア眠れ〜と念じつつコソコソと魔法を詠唱。
 不穏な空気を感じたバルフレアが振り向いた瞬間、突き出されたヴァンの手から光の粒子が放たれた。

「へへ…どんなもんだ! ちゃんと1回で成功させたぜ!」
 ヴァンは得意満面の笑みを浮かべ、えへんと胸を張ってみせた。しかし、見せている相手は気持ちよさそうに白河夜船の真っ最中だ。
「ちぇっ。なんだよ…寝てんじゃねえよ…」
 自分でスリプルをかけておきながら勝手な文句を云う。すぐに褒めてもらいたかったので、急につまらなくなってしまった。
 目覚まし時計はない。殴って起こそうかとも考えたが、きっと倍にして返される。それは遠慮したい。
 自然に目覚めるのを待つしかなく、ヴァンは手持ち無沙汰でバルフレアの寝顔を覗きこんだ。
 こうして見ると、ほんとうに端整な顔をしているんだなと思う。
 緩やかな曲線を描く眉と淡い影を落とす涼しげな目元。すっと通った鼻筋に薄くて形のよい唇。整いすぎていても冷淡に見えないのは、上品な甘さがあるからだろう。
 人を挑発するような皮肉な笑みも、どこか投げやりな眼差しもない。なんだか自分の知っているバルフレアじゃないみたいだ。
「ま…女が放っておかないのもしょうがないかな……」
 つぶやいて、ヴァンは口をへの字に曲げる。自分で云った言葉にムカッ腹が立った。
 たしかにハンサムだが、バルフレアの格好良さは顔だけじゃない。そこらの女はきっと判ってないのに、喜んでいるバルフレアもバルフレアだ。いい気になんなよ。
 ヴァンはバルフレアの頬にそっと両手をあてがい、びろ〜んと擬音つきで左右に引っぱった。澄ましたままのマヌケ面に「どーだまいったか!」と大笑いした後で、とてつもなく空しくなる。
「なにやってんだ…オレ…」
 深々とため息を吐いて手を離した。つまんだ痕がほんのり赤くなっているのを見て、とたんに申しわけなくなってくる。
「…顔も性格のうちって…兄さんが云ってたしな……」
 せめてものお詫びにと、赤くなったところをさすさすと撫でてやった。ふと指先がバルフレアの唇に触れる。
「あ…やわらか…」
 他人の唇に触れることなどほとんどない。自分のを触っても判らないが、唇とはこんなに柔らかいものなのかとヴァンは驚いた。まるで焼き立てのパンみたいだ。
 指先に伝わる感覚が気持ちよくて離しがたい。肉厚でもないのに、どうしてこんなに柔らかいんだろう。
 この唇に指先以外の場所で触れたら、いったいどんな感じがするかな。もっともっと気持ちいいような気がするんだけど―――…

 引き寄せられるように、ヴァンは自分の唇をバルフレアの唇に合わせた。ふんわりと重なる温かくて乾いた感触は予想以上だ。
(…やっぱ…気持ちい…い……)
うっとりと目を閉じかけたところでハッと我に返る。これってキスじゃんっ…と飛び退るのとほぼ同時にバルフレアが目を覚ました。
「あぁ?」
 顔をしかめるバルフレアに、ヴァンは大慌てで首を振りながら叫ぶ。
「何もしてないっ…何もしてないからっ!」
「おまえな、人にスリプルかけただろ。そんなんで誤魔化せると思うなよ」
「あ…うん…」
「まあ、ちゃんと成功したようだから許してやるが、今度無断でやったら…」
 バルフレアの言葉は続くが、ヴァンはもうそれどころではなかった。顔を見ようとすると、どうしても唇に目が行ってしまって落ち着かない。
 右へ左へと視線を泳がせて、自分の行動に対する言い訳を考える。どうしてあんなことしちゃったんだろう…なんで唇だったんだろう…でも…いや…たぶん…きっと…
 ぐるぐるまわる思考の末、ようやく答えにたどりついた。
「オレ、すげえ腹減ってんだ!」
「いきなり何云ってんだ。さっき食ったばかりじゃないのか?」
「減ってんだってば。そんで口淋しくてもうしょうがなくてどうしょうかって感じで…」
 必死でしゃべりながら、ヴァンは自分の頬がどんどん熱くなっていくのが判った。それに合わせて、心臓がうるさいほど鼓動を響かせはじめる。
 バルフレアは(わけわからん)という顔で、そんなヴァンに一歩近づいた。ヴァンもまた一歩退いてなおも言いつのる。
「ほんとだって。ほんとに腹減って口が淋しくってさあ――…」
「ヴァン…今回は怒らないって云っただろ。腹減ったのは判ったから、夕飯の時間を少し早めてやるよ。それまで淋しいならアメ玉でも舐めて我慢しとけ」
 なだめるように優しくバルフレアが話すたびに、当然だが唇も動いていた。その感触がリアルに思い出されて、ヴァンは混乱したまま泣きそうな気分になる。
「そうするよっ!」
 耐え切れずに叫び、くるりと背を向けて走りだした。ヴァンを呼び止めるバルフレアの声を無視して全力疾走でその場から逃げ出す。


 今度からアメ玉も常備しておかなくちゃならない。
 でないと、また、あの唇に触れたいと思ってしまいそうで怖かった。

おわり (2006.06.09)


バルフレアの寝顔描写のために
スリプルをかけて観察
やっぱり育ちのよさそうな寝顔してますね


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